千代の松 足袋❗️《粋でお洒落な販売》行田で大人買い!!
千代の松 足袋❗️《粋でお洒落》✨大人買い!!と言う事で、今回仕事関係で行った埼玉行田市にて、仕事帰りに偶然見つけた足袋の有名店「千代の松」さん。そこは粋でお洒落な足袋の販売宝庫だった!
この記事ではそんな疑問に偶然な“日帰り足袋ならぬ日帰り旅”についてお答えリポートします。
20代の頃に阿波踊り(お囃子)をやっていたので足袋や雪駄は普通の人より身近な存在でした。しかし今では全く関わる事がない足袋ですが、今ではこんなにも粋でお洒落なデザインがあるのかととても感心し、是非おすすめしたく記事にしました。
【📝先にざっくり回答まとめ😌】
- 埼玉行田市は足袋で有名
- 行田市はTVドラマ「陸王」の舞台
- 柄足袋老舗の千代の松
- 足袋はデザイン豊富でお洒落
- 伝統を守る粋な老夫婦に感謝
詳しくは以下よりお読み下さい😌
足袋の街。埼玉行田市の千代の松さんに偶然来店。
仕事の関係でやってきた埼玉県行田市。私は東京下町生まれの下町育ちなのですが、この日まで行田市が足袋で有名な街だと言う事を恥ずかしながら知りませんでした。
この日偶然にも知る事になった、こちらの「創作足袋 千代の松」さん。まさかフラッと立ち寄ったこの店でまさかまさかの「足袋大人買い」となるとはこの時想像もしておりませんでした。
足袋で有名な街。足袋で有名な千代の松さん。凄い!
「全国から注文殺到!中山道の旅に欠かせない超オシャレな新名物」
平成30年(2018年)放送
- 足袋に携わって100年以上
- 昭和13年 全国の約80%の足袋を生産
- ジーンズに履いてもオシャレ
- 創作足袋1足2350円〜(税込)
TBSテレビ日曜劇場「陸王」舞台のまち
有名なドラマですよね。
って、私実はまだ見てなく・・・。すみません直ぐ見ます!!
実は大の足袋好き。
見て!この日の足袋もカッコいいでしょ!
って、すみません。これは私ではありません。
朗読・紙芝居・絵本の出張読語り(長野さん)
当ブログにも多々登場している長野さん。長野さんは私の本業(web制作)のお客様で、この日は長野さんの出張のお手伝いとして同行し、行田市にやってきたと言う訳です。ちなみに長野さんは子供の頃にここ行田市に住んでいた事があったようです^^(ちなみに今は千葉の松戸方面が拠点)
⬇️長野さんのブログ(個性的です!)
https://nagano-ikuo.com/blog/
で?「千代の松」さんに来ることになった経緯は?
今回、千代の松さんに来る経緯を説明すると、読み語りの仕事帰りに会場となった建物に小さなお土産コーナーがありました。
そこで偶然私が足袋売り場を見つけたので長野さんに教えると、
長野さん:「お〜オシャレな足袋ですね〜サイズあるかな〜?」
店員さん:「ここの足袋はすぐ近くの千代の松さんで仕入れてるので、そちらの方が種類も豊富でサイズもあると思いますよ^^ もし宜しければ立ち寄ってみて下さい^^」
長野さん:「カトリさん、行きましょう!」
と言う流れからの初訪問となりました😍
プチ情報。足袋の歴史。
足袋はいつごろから
今からおよそ1,000年前の平安時代からです。「宇治拾遺物語」に「猿の皮の足袋」とでてきます。むかし狩りのときにはいた革のはきものを、わらじの「はなお」で固定するために「指また」をつくるようになった、これが「革足袋」のはじまりといわれています。
江戸時代になり、革が少なくなり、値段も高くなったので、かわりに木綿の布で足袋がつくられるようになりました。これが現在の足袋のはじまりで、今でも木綿の足袋が中心ちとなっています。
昔の足袋
むかしの足袋は「筒長足袋」といって、足のくるぶしの上の方まであり、外からひもでしばるようにしていました。江戸時代から明治時代中ごろまでは、こういった「紐足袋」が中心でしたが、明治20年代(1890年代)頃からは「こはぜ」で止めるようになりました。
行田の足袋
江戸時代のはじめ貞亨年間(1864~67)亀屋という足袋屋がはじまりと伝えられています。はっきりと記録に出てくるのは「亨保年間絵図」で、約280年前に3軒の足袋屋があったことが記されています。
また、江戸時代中ごろ(約230年前)の旅行の本「木曽東海両道中懐宝図鑑」に「忍のさし足袋名産なり」とありますので、このころにはすでに「行田の足袋」が有名であったことがわかります。*「さし足袋」とは、刺し子に縫ったやぶれにくい足袋のことです。
「名月の花かと見えて綿ばたけ」松尾芭蕉
この俳句をきざんだ碑が、野にあります。むかしこのあたりに足袋の原料となった木綿を栽培した畑があったことをうかがわせます。
足袋はどんな順番でつくる
足袋作りは13工程に分かれているため分業化が進みやすかったと言われてます。はじめの裁断と最後の仕上げは男性が、残りの縫製は女性が主に担当しました。
行田では足袋はどのくらいつくられていたか
明治時代にミシンが普及し、行田電燈株式会社ができて照明の電気がつかえるようになってから、行田の足袋は急速に発展し、昭和時代初期(1930年代)のピーク時には全国生産量の8割以上、年間8000万足あまりが生産されたといいます。戦後、生産量は減りますが、最近まで全国の生産量の約半分、およそ500万足が作られていました。
行田に足袋工場はどのくらいあったか
行田に足袋工場がはじめてできたのは、明治19年(1886年)です。ミシンの導入によって機械化が進み、行田足袋の生産が最盛期をむかえる昭和時代初期(1930年代)には大小200以上の足袋工場がありました。
出典:行田市郷土博物館発行「行田の歴史を調べてみよう!」
創作足袋(柄足袋)
一般に流通したのは白足袋や黒足袋が主流でしたが、高級品として別珍やコールテン生地の足袋も製造販売されていました。
近年、外反母趾や足指の健康問題から下駄の効用も見直しされているようですが、若者のファッションでもトンボやさくら、麻の葉、水玉など柄足袋の着用が見受けられるようになりました。
日本古来の伝統文化である足袋産業の衰退からの再生は、行田市でなけば果たせない事業と考え創作足袋(柄足袋)の製造販売を始めました。
足袋産業に携わる技能者が余た後継者に恵まれず技能が埋没、消滅していくのは惜しまざるを得ません。この創作足袋が産業再生への一石になることを願っております。
創作足袋製造元 千代の松 代表:戸塚喜久代
事業所:埼玉県行田市忍1-1-16 [Google map]
TEL&FAX:048-564-0785
HP:楽天 千代の松 創作足袋
店内のオシャレな足袋・小物雑貨
決して広い店内ではありませんが、四方八方楽しい雑貨が目白押しです。*倉庫のようなガレージが隣の建物にありそこはとても広いです。
TVで紹介されたレデイース(女性)受けの良い柄足袋
店主奥様が「これ、TBSのアナウンサーさん特注の足袋なんですよ」と見せてくれた可愛い足袋。
写真に写ってるアナウンサーさんが、ご本人との事です。
柄足袋のバリエーションの多さにビックリ。
お面柄。面白いですねぇ。色が紺とベージュでこれほどに印象違います。
お〜風神・雷神、カッコいいですね!色のバランスがとても綺麗です。
手ぬぐいを額に入れるのは見た事ありますが、足袋を額に入れて見せるのも粋でカッコいいですね!
さて!どの足袋を買う?
長野さん:「これもいいなぁ〜。あ、これもいい!あ〜迷うなぁ〜」
カトリ:「さっき、カード払い無理だろうから、現金下ろすってコンビニで数万引き出してたの知ってますからね!ここは大人買いですよ!」
長野さん:「う〜〜〜ん💦 あ〜迷う〜〜〜」
まだまだある運命の雑貨たち
遊びゴコロ溢れるキュートな足袋
昭和初期には足袋の全国シェアの8割を生産していたと言う「足袋の街・行田」で伝統を引き継ぎつつ、現代の感性を軽やかに反映させる商品づくりに定評のある千代の松。ポップな水玉模様のモダンな和柄は、着物の装いだけでなく、個性的なファッションのアクセントにもぴったり!丁寧な縫製で、履き心地も抜群。
決めた!足袋大人買いだ!
カトリ:「いや〜大人買い!かっこいいですね〜〜」
長野さん:「全部!と思ったけど、今回はこのくらいで!笑」
着物が普段着な長野さんなら、いくつ足袋があっても大丈夫!全て粋に履きこなしてくれる事でしょう!いや〜人様の大人買い見るって楽しいな〜😍
ご来店記念(4枚こはぜGET!!)
足袋のまち行田 創作足袋 千代の松 ご来店記念(4枚こはぜ)
帰り際に優しい店主ご夫婦と記念撮影。感謝!
初来店でまとめ大人買い!の記念撮影として。店主ご夫婦(左・右)はお二人とも80歳超えとの事ですがお若い!!!!*中央の長野さんの一回りも年上!?
どうかいつまでも健康でお元気でいて下さい😌
おさらい
- 埼玉行田市は足袋で有名
- 行田市はTVドラマ「陸王」の舞台
- 柄足袋老舗の千代の松
- 足袋はデザイン豊富でお洒落
- 伝統を守る粋な老夫婦に感謝
お店でも購入出来ますが、インターネットにも多数取り揃えしてありますので、粋なお洒落足袋を大人買いしたい方(もちろん1品買いも)是非ご贔屓に!😌
以上
この記事がお役に立てば幸いです。
<完>
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