渋沢栄一とは?《完全まとめ❗️》娘*当時小5の自由研究レポートがとても分かりやすい!
- 1. 新1万円札紙幣の肖像画(顔)が渋沢栄一に!過去1,000円札紙幣の顔候補として伊藤博文に敗れたが、時を経て1万円の顔に!
- 2. で!2017年に長女(当時小5)が作った【渋沢栄一】を題材にしたまとめ研究レポートを思い出した。
- 3. 1.渋沢栄一を調べたきっかけ
- 4. 2.渋沢栄一とは
- 5. 3.渋沢栄一資料館に行ったぞ〜!
- 6. 4.渋沢栄一が生まれ育った家
- 7. 5.なぜ500以上の会社を作った有名な人なのにお金の顔にならなかったのか?
- 8. 6.渋沢栄一が会社をつくったきっかけ
- 9. 7.渋沢栄一と親しかった人物
- 10. 8.渋沢栄一が関わった身近な建物
- 11. 9.感想
- 12. 10.調べたときに利用した資料名、図書館名
新1万円札紙幣の肖像画(顔)が渋沢栄一に!過去1,000円札紙幣の顔候補として伊藤博文に敗れたが、時を経て1万円の顔に!
2019年4月9日に発表された「新1万円札紙幣」の肖像画(顔) が渋沢栄一に!のニュース。実に肖像画の変更は2004年以来との事です。
渋沢栄一は、自分が所属する「東京商工会議所」の初代会頭でもあり、また過去1,000円札紙幣の顔候補として伊藤博文との最終2者選考で惜しくも敗れた経緯を持つ、日本を代表する有名人物です。
で!2017年に長女(当時小5)が作った【渋沢栄一】を題材にしたまとめ研究レポートを思い出した。
2017年の夏休みの自由研究で、なぜか長女が「渋沢栄一」を題材に。その理由はレポート内に書いてあるので是非見て頂ければと思います。
とても良く出来たレポートで、当時学校側から「図書館を使った調べる学習コンクール」へ推薦して頂きました。
出典:会社のリーダー!渋沢栄一 500以上もの会社を設立
取材編集/東京都内某小学校5年 【我が長女】〜2017夏休みの自由研究より〜
もくじ
- 渋沢栄一を調べたきっかけ
- 渋沢栄一とは
- 渋沢栄一資料館に行ったぞ〜!
- 生まれ育った家
- なぜ500以上の会社を作った有名な人なのにお金の顔にならなかったの?
- 会社をつくったきかっけ
- 渋沢栄一と親しかった人物
- 渋沢栄一が関わった身近な建物
- 感想
- 調べたときに利用した資料名、図書館名
1.渋沢栄一を調べたきっかけ
わたしが渋沢栄一を調べたきっかけは、歴史人物の本を読んだからです。歴史人物の中でとくに興味を持ったのが渋沢栄一だったので決めました。また、わたしのお父さんが個人で仕事をやっているので、より興味を持ち、調べることにしました。
2.渋沢栄一とは
ホテル、鉄道、学校、病院、キリンビールなど、全部渋沢栄一が作りました。
渋沢栄一について
渋沢栄一は、500社以上の会社づくりや、600ほどの社会福祉事業に関わった人です。
明治から大正のはじめにかけて活躍した実業家です。江戸幕府や、明治政府で働いた後、日本初の銀行「第一国立銀行」を設立し、さらに多くの株式会社、教育機関などの設立に関わりました。
*渋沢栄一は、1840年(天保11)2月13日〜1931年(昭和6)11月11日92歳まで生きていました。埼玉県に住んでいました。
3.渋沢栄一資料館に行ったぞ〜!
渋沢栄一資料館に行きました。栄一が習っていた「論語」(漢字)の教科書がありました。栄一は7歳から論語を習い始め11歳で理解しました。論語は父の進めから習い始めたそうです。
また、栄一は27歳のころパリに渡りました。そのきっかけで、第一国立銀行をつくり、500以上もの会社を設立することができました。
4.渋沢栄一が生まれ育った家
・渋沢栄一の家です。
もともとの家は、空襲で焼けてしまい、明治28年に新しく建てられました。栄一の部屋だけは2階が無く違う作りになっていました。とても広かったです。
・いとこの家です。
この家で塾を開いていたので論語を学びました。*生地(中の家)からいとこの家まで約1.3km歩いて通っていました。
ここに住んでいた人は尾高惇忠(おがたじゅんちゅう1830〜1901)と言い、10歳年上でした。
この人の妹と栄一は結婚しました。
5.なぜ500以上の会社を作った有名な人なのにお金の顔にならなかったのか?
なぜ500以上もの会社を作ったのにお金の顔にならなかったのでしょうか。
およそ1963年(昭和38年)の前、お札の候補者として何回か挙げられました。その中で*日本銀行C千円券の候補として、最終選考に残りました。
しかし、伊藤博文(いとうひろぶみ)と言うライバルがいて、当時は偽札があり、偽札の防止に主にしゅ像にヒゲがある人物が用いられていたため、ヒゲがあった伊藤博文と決まりました。
伊藤博文のお札となった1000円札は1963年11月1日に」発行されました。
*お札には発行された種類として「甲号券、B号券、C号券、D号券、E号券がある。
*写真:まぼろしの渋沢栄一版 / 1000円札のサンプル見本
6.渋沢栄一が会社をつくったきっかけ
栄一が会社を作ったきっかけは、パリ万国博覧会に参加したことです。そこには立派なレンガ造りの建物が並び、鉄道が走っているのを見て驚きました。
また他の国々の新しく開発された技術や文明の高さを見ました。それから日本に戻ると、西洋の進んで仕組みを日本に取り入れていきました。
そして、第一国立銀行を作り、銀行に集められたお金をもとに日本名地に会社を作りました。
最初に作ったのは製紙会社でした。
7.渋沢栄一と親しかった人物
渋沢栄一と親しかった人は、伊藤博文でした。
伊藤博文と一緒に富岡製糸場を設立しました。伊藤博文とは、お札の問題となったりしました。しかし伊藤博文は韓国人に暗殺されてしまいました。それをアメリカのニュースで知った栄一は、記者を前にしながらも涙をこれることが出来なかったそうです。
・伊藤博文とは?
伊藤博文は日本で最初の総理大臣になった人です。貧しい農民出身ながら「松下村塾(しょうかそんじゅく)」で学び、幕府を倒す運動に参加しました。明治政府の中心となり、初めての国会を開きました。
8.渋沢栄一が関わった身近な建物
今でも渋沢栄一が関わった身近な建物があります。それは東京駅です。レンガのまち深谷で作ったレンガが東京駅のレンガで使われています。私たちが住んでいる中でも、渋沢栄一と関わっていたものがありました。
9.感想
渋沢栄一について調べて、渋沢栄一はどのような人なのかや、何をした人なのが分かりました。
渋沢栄一の資料館や、実際の家などに行ったので、色々な疑問などが出てきました。わたしは、疑問の中で特に興味を持ったのが「お札」についてでした。
お札の顔を決めるのにも、色々な事の積み重ねからできているのだと思いました。
500ほどの会社を作って凄いと思いました。普通では1つや2つの会社を作るのにも大変なのに、500もの会社を作り凄いと思います。
1つのきっかけで、日本の経済を変えることが出来て驚きました。また、会社だけではなく、教育にも力を入れたりし、人のためにも働いていたことが素晴らしいと思いました。
わたしは、このことを学び、自分の利益だけではない 人の為にも頑張ろう と思いました。
10.調べたときに利用した資料名、図書館名
ゆいの森図書館
日本のすごい歴史人物伝
<監修>伊藤純郎
この人を見よ!歴史をつくった人びと伝25 渋沢栄一
<監修>プロジェクト新
歴史人物できごと新事典
<監修>下向井龍彦
出典:会社のリーダー!渋沢栄一 500以上もの会社を設立
取材編集/東京都内某小学校5年 【我が長女】〜2017夏休みの自由研究より〜
<完>