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《沈没!》タイタニックについて【娘*当時小学6年生】がまとめた自由研究レポートがとても分かりやすい!

2019/11/23 (土曜日)40代 家族

《沈没!》タイタニックについて【娘*当時小学6年生】がまとめた自由研究レポートがとても分かりやすい!

2018年の夏休みの自由研究で、なぜか長女が映画でも有名な「タイタニック号」を題材に。その理由レポート内に書いてあるので是非見て頂ければと思います。

とても良く出来たレポートで、当時学校側から「図書館を使った調べる学習コンクール」へ推薦して頂きました。


出典:沈没!「沈まない船」と言われたタイタニック号
取材編集/東京都内某小学校6年 【我が長女】〜2018夏休みの自由研究より〜





もくじ

  1. タイタニック号について調べたきっかけ
  2. タイタニック号について
  3. 氷山にぶつかってから沈没するまでの出来事
  4. タイタニック号での犠牲者
  5. 沈没後のタイタニック号
  6. タイタニック号の船体・設備
  7. 船体の損傷と浸水
  8. タイタニック号の沈没と氷山
  9. タイタニック号の遭難
  10. タイタニック号の行事
  11. 調べて学んだ事・感想
  12. 参考文献
  13. おまけ

タイタニック号について調べたきっかけ

私がタイタニック号について調べたきっかけは、母に薦められて見た映画「タイタニック」を見て、とても感動し、タイタニック号に興味をもったからです。

またこの映画を初めて見たときの日付がちょうどタイタニック号が氷山にぶつかって沈没した日だった為、自分の中でとても偶然だと思い、なにか共通点がこれからあるのかと思ったからです。

映画を見てから、気になることは自分で調べたりしてきました。調べていくことで自分の中の疑問が解けていくのが嬉しくて、この夏休みをきっかけに、くわしく調べて行く事にしました。


タイタニック号について

タイタニック号とは、20世紀初めにイギリスで造られた豪華な客船の事です。

当時、世界最大の客船と言われました。

しかし、1912年4月10日、イギリス南部のサウサンプトン湾からアメリア・ニューヨークに向けて出発し、14日夜に大西洋で氷山に衝突、15日未明に海底に沈んでしまいました。

乗客と乗員は合わせて約2200人いましたが、救命ボートが人数分なかったことや、水温が低かったため、約1500人が犠牲になってしまいました。

その後、タイタニック号は世界一豪華な客船というよりも、沈没事故であまりに多くの人が亡くなった悲劇の船として語り継がれています。

タイタニック号の歴史

基本情報 船種:客船(オーシャン・ライナー)
クラス:オリンピック級客船
運用者:ホワイト・スター・ライン
母港:リヴァプール
経歴 起工:1909年3月31日
進水:1911年5月31日
完成:1912年3月31日
処女航海:1912年4月10日正午
最後:1912年4月15日午前2時20分
要目 総トン数:46,328トン
全長:269.1m
全幅:28.2m
高さ:53m(11階建てとほぼ同じ高さ)
速力:23ノット(42.6km/n)
<旅客定員>
約1等旅客:329人
約2等旅客:285人
約3等旅客:710人
<乗組員>
約899人
乗客乗員計:約2,200人
遭難地点 ・マサチューセッツ州ボストンの真東1610キロメートル、ニューファンドランド、セントジョンズ沖604 キロメートル
・深さ:3773メートル
・船尾部分:北緯41度43分35秒西経49度56分54秒
・ボイラー部:北緯41度43分32秒西経49度56分49秒
・船首部分:北緯41度43分57秒西経49度56分49秒
天候 事故当日 ・天候:快晴 見通しが良い
・月:無し 暗い

氷山にぶつかってから沈没するまでの出来事

サウサンプトン湾から出航し、4日目の4月14日。この日は、この日のうちに7回氷山出現の警告を無線で受け取っていました。また、出航の直前に人事異動があり、双眼鏡が所在不明のままになってしまいました。

そのため、海上の監視を肉眼で行うことになりました。このことも、タイタニック号の沈没の原因の1つだと言われています。

そして4月14日23時40分、タイタニック号が北大西洋のニューファンドランド沖に差し掛かったとき、見張り番が前方に立ちはだかる氷山を発見しました。そして船首右舷に激突し、同船は停止しました。

午後11時50分、浸水が始まります。船体先端部分の水の深さが約3mに達します。

午前0時 船長はタイタニック号が数時間後に沈没することを告げられました。ただちに、無線で救難信号を出すように命じました。

午前0時25分 救命ボードに乗り込む用意を始めるように指令が出されました。女性と子供が優先されました。しかし、その中でも1等の乗客がおり、当時は激しい金持ちと貧しい人との差があったため、3等の客の人はほとんど助かりませんでした。そして、タイタニック号の南東約93kmの位置にいたカルパチア号が全速力で救助に向かいました。

午前0時45分 最初の救命ボートが、タイタニック号を離れました。しかし定員は65なのに28人しか乗りませんでした。これも2つめの多くの犠牲者を招いた原因となります。そして最初の救難信号弾が打ち上げられ、全部で8回打ち上げられました。

午前1時40分 デッキの傾斜が次第に大きくなります。乗客の半分しか乗ることのできない救命ボートのほとんどはタイタニック号を離れていきました。残された乗客約1500人は船尾へと移動します。

午前2時5分 最後の救命ボートが出発します。デッキの傾斜は次第に増していきます。

午前2時17分 最後のSOSが発信されます。船首はすでに海中に姿を消しました。多数の乗客及び乗務員が海に飛び込みました。そしてタイタニック号の前方の煙突が倒れ、多数の人々を巻き添えにしました。

午前2時18分 タイタニック号の明かりが消えてしまいます。数人の目撃者がタイタニック号が真っ二つに折れるのを見ています。船首の部分が完全に海に沈みました。

カルパチア号に近づく救命ボート

午前2時20分 タイタニック号の切り離された船尾の部分が一度元の水平の位置に戻りそのまま数秒とどまっていました。やがてゆっくりと海水が流れ込み、再度最後部が空中に高く持ち上げられてから海中に沈みました。

午前3時30分 カルパチア号が救命ボートのもとに来ました。

午前8時50分 カルパチア号が705人の生存者を乗せニューヨークに向けて出発しました。

タイタニック号の沈没で多くの犠牲者を出したのには、たくさんの原因がありました。

双眼鏡がなかったことや、救命ボートが定員よりも少ない人数しか乗っていなかったこと、他にも救命ボートの数が乗客の人数の半分しか乗ることのできない数しかありませんでした。

また救命ボートが助けにきたのも、たったの1そうだけでした。

タイタニック号での犠牲者

救助に向かったボートはわずか1そうだけでした。また救助に行ったのも、すでに沈没から30分が経過していました。

4月の大西洋はまだ水温が低く、人々が投げ出された海はマイナス2度の冷たさで、乗客の大半は低体温症などで数十分〜20分程度で死亡したか、または心臓麻痺で数分のうちに死亡したと考えられます。

その中には赤ん坊を抱いた母親もいたと言われています。

多くの犠牲者は2,3等客の乗客や男性でした。また1等客の子供で唯一犠牲になった子供もいます。

船長(エドワード・ジョン・スミス)は自らの意思により船と運命を共にしました。しかし、スミスがどのように亡くなったのかは諸説があります。未だにスミスの遺体は発見されていません。

ハンドマスター達もこの事故により死去しました。バンドメンバーは全員外部企業の所属であり、乗客扱いでした。衝突後は、バンドメンバーと共に甲板上で音楽を奏で、最後の瞬間まで乗客の不安を和らげようと尽力しました。

この事は映画「タイタニック」でも知られており、人々の心の中の記憶が深いものでした。




沈没後のタイタニック号

左:タイタニック号の船首/右:タイタニック号の遺品(時計・バイオリン・くつ・皿)

1985年9月1日、海洋学者が約3800メートルの海底で船体を見つけ、遺品などが回収されました。

当初船体は叩きつけられるように落下したが、船内にはシャンデリアや鏡、暖炉といった多くの備品が未だに存在し、ほぼ当時のままの状態で残存しています。

この事故をきっかけに船舶・船海の安全性確保について、条約の形で国際的に取り決めようと言う動きが起こり、1914年1月「海上における人命の安全のための国際会議」が行われ、欧米13カ国が参加「1914年の海上における人命の安全のための国際条約」として採択されました。

また、アメリカでが船舶への無線装置配備の義務付けが強化され、無線が普及するきっかけになったとされています。そして2012年4月5日には、国際の機関「ユネスコ」が同船を水中の文化遺産を守る国際条例に基づいて保護することを発表しました。

*左:タイタニック号の船首/右:タイタニック号の遺品(時計・バイオリン・くつ・皿)

タイタニック号の船体・設備

左:大階段最上部/大階段 錬金とガラスのドームが飾る休憩室と1等船室への階段 右:イラスト 1等船室への大階段 色を付けた部分が損傷を受けた箇所です。船と氷山は10秒ほどしか接触していません。

タイタニック号の造船計画は20世紀初頭に造船業として勢力を保っていたハートランド・アイドウルフの会長が、ホワイト・スター・ラインの社長に夕食会に大型客船3隻の造船を提供したことに始まります。

*左:大階段最上部/大階段 錬金とガラスのドームが飾る休憩室と1等船室への階段 右:イラスト 1等船室への大階段 色を付けた部分が損傷を受けた箇所です。船と氷山は10秒ほどしか接触していません。

船イラスト内の矢印(→)は沈み始める順番

船体の損傷と浸水

上記資料右のイラストより

1等船室(赤):金持。現在の価値約575万
2等船室(青):貴族や大富豪の名が並ぶ
3等船室(緑):現在の価値約2万〜4万

船体の破孔は数インチで、総面積も1㎡程度でした。しかし浸水は防水かく壁の限界を超え、かく壁を乗り越えた海水が次と船首から船尾に向かって、拡大していきました。

そして衝突直後に船長が機関停止命令を出して、停船しました。

タイタニック号の沈没と氷山

左写真:タイタニック号と接触した氷山です。タイタニック号の破片と同じ赤い塗料のようなものがこびりついていました。

タイタニック号が出会った浮氷群は125kmもの長さがありました。

タイタニック号の遭難

タイタニック号はカナダのニューファンドランド島から約640kmの位地で氷山に衝突して、大陸柵のヘリのあたりで沈みました。

*図(右)250ノットで航行 進路をやや南に変更 (×)印がタイタニック号の遭難現場

他船から氷原の存在を警告を受け、進路をやや南に変更しました。しかしスピードは落としませんでした。

タイタニック号の行事

2012年4月は、事故からちょうど100年にあたるので、世界中で亡くなった方を悼む行事が行われました。

イギリスでは同船の航路をたどるクルーズが企画され、4月8日にサウサンプトン湾を出発。乗客は約1300人で、参加者の中には事故の乗客の犠牲者の子孫もいました。

14、15日には船上で追悼式が行われました。

北アイルランドのベルファストでは3月31日、事故の悲劇を伝える映像や写真を展示した博物館が開館し、20カ国、約10万人が予約して話題になりました。

調べて学んだ事・感想

わたしは、始めはただ「タイタニック号について調べてみようかな。」と言う軽い気持ちで調べていました。でも、調べていくと自分が思っていた以上にたくさんの出来事があり、少しづつその出来事に考えさせられていきました。

映画で見たりして、自分の知っていた事はほんの少しの小さな事だけで、その先には大きな出来事があるのだと気付かされました。

タイタニック号が沈没してしまった原因は小さな出来事の積み重ねでした。このことで多くの命が失われたのだと思うと自分の中でも悔しい気持ちが込上げてきました。

タイタニック号の沈没をきっかけに世界での色々な取り組みが行われてきました。しかし、その中でも沈没してしまった船はあります。

このことを考えると「船は沈没する」という考えが人々の中にはまだ強く受け止めていないのかと思います。

現代の私たちのような人々は、「タイタニック号」と言われても分からない人が周りにはたくさんいます。私は友達に聞いてみたら「知らない」と答える人が多く少し悲しくなりました。

(2018年で)事故から106年がたった今でも、この地球上にはタイタニック号の歴史以外にもたくさんの悲惨な歴史がこの世の中にはあります。

これからを生きていく私たちには、少しづつ忘れられている歴史を学んで行かなければならないのだと思います。106年前におきた沈没船の事故。自分たちの世界の出来事ではないとしても、この地球上に住む同じ人間です。

私たちはこのようなタイタニック号の事故、世界、日本の歴史を忘れてはいけないのだと強く心に実感しました。

*映画タイタニックお勧めです。ぜひ見てみてね!


参考文献

地域の図書館

〜本〜
毎日小学生新聞のなるほどニュース発見!
<監修>毎日新聞社
検証シリーズ そのとき何が起きたか
そのとく人びとはどうしたか(3)タイタニック号の遭難
<監修>ロバート・D・バラード著者
マジックツリーハウス(9)タイタニック号の悲劇
<監修>メアリー・ポープ・オズボーン著者

サイト
wikipedia タイタニック(客船)

映画
タイタニック
<監督>ジェームズ・キャメロン

おまけ

私は夏休み中に家族でディズニーシーに行きました。

そしてこの「コロンビア号」と言う船で夕食を食べました。この船は「タイタニック号」に少し似ていて、夕食を食べている時もタイタニック号の乗客になった気を味わっていました。

コロンビア号は中も似ていて、階段の部分もタイタニック号の大階段と似ていました。

しかしコロンビア号はタイタニック号の半分の長さしかありません。私はこのことを考えながら見ていると、この事故はとても怖かったんだと改めて思いました。

*タイタニック号にまるで乗ったような気分でとてもうれしかったです。
*わたしはこの後、船首で妹と映画「タイタニック」の名シーンの場面をやってみました。


出典:沈没!「沈まない船」と言われたタイタニック号
取材編集/東京都内某小学校6年 【我が長女】〜2018夏休みの自由研究より〜

<完>

Posted by KATORI