めざせwebデザイナー❗️資格不要?スクール&独学からの挑戦

40代 仕事フリーランス

めざせwebデザイナー❗️資格不要?スクール&独学からの挑戦
私にとっての運命の本。今でも大切に手元にとってある。

 

 

 

めざせwebデザイナー❗️資格不要?スクール&独学からの挑戦


▶️KATORI

平凡40代男の東京雑記ブログとして→ 美容 ・ダイエット/住まい/家族/娯楽&趣味/グルメ/仕事/のテーマを軸にゆるく配信中🌈 1976年1月生/山羊座のO型/動物占いは黒ヒョウ/妻と姉妹(中学&小学生)4人家族で平凡に生活中😌

めざせwebデザイナー❗️
スクール&独学からの挑戦

この記事は、これからフリーランス(webデザイナー)になりたい人や、
今webデザインの勉強をしてる人へ向けて自分の過去の経緯を簡単にまとめたものです。

前編はwebデザイナーを目指し就職活動に入るまで。
後半は就職してからフリーランスになるまでの2部構成です。

さらに続きとして、フリーランス活動編として1年目〜3年目(模索下積み時期として/3年分) までの内容と、4年目〜6年目として(軌道時期 / 3年分)までの内容を、 実際の<年収=売上げと所得/確定申告内容>も合わせて公開致します。

*尚、あえて年商ではなく年収としています。
(仕入れ・在庫が無いのでほぼ売上がそのまま収入に反映される為)

小さな情報ですが1人でも多くの人の参考になれば光栄です。

2018年11月 / (株)カトリデザイン事務所:代表取締役 リキ・カトリ

1998年10月。運命の本との出会い。


この記事を書いているのが2018年11月6日(火)。

1998年10月からほぼ20年の歳月。その当時22歳だった私は1997年11月に就職した印刷会社でのオペレート業務に将来を見出せず1998年6月退職。

そのまま無職となり次の目標や当てもなく、ただ若さだけで生活をしている日々を過ごしていた。

そんなある日、暇を持て余し私は本屋へ行った。自分の好きな「デザインコーナー」へと足を運ぶとその棚には「めざせ!webデザイナー」と言う本があった。

webと言う文字が何と読むのかも分からない。

しかし「デザイナー」と言う文字にとても関心があった私はその本を手に取り軽くページをめくる事になる。自分にとって運命の日だとも知らずに。

ホームページを創るwebデザイナー。


ホームページと言うインターネット上で見るメディアの時代がこれから来る。

そしてそれを創る仕事を「web(ウェブ)デザイナー」と言う。

この本にはそう書いてあった。基本はパソコンさえあれば仕事が出来る。

この本には、既にホームページ制作を仕事にしている人たちの実際のインタビューや、仕事環境、仕事の取り方、打ち合わせの進め方、契約書や請求書の書き方、そして最後は独立するまでの事が全て網羅されてた。

webスクール選び。100万円の自己投資。


私の興味は高まった。

webデザイナーになりたい!さっそく本を買って、家に帰り読みあさる。

そしてあっという間に読み終えた私は、パソコンを買う前に、まずはパソコンスクールの無料体験に行ってみる事にした。

すぐさまコンビニへ行き「仕事の教室」と言う雑誌を買って、そこに載っていた5~6校に資料請求をした。

そして資料が届くや否や無料体験の予約を電話でし、日を空けずスクールへ行った。

スクール見学は当時は真剣だったが、今思えば面白かった。

とあるスクールではアインシュタインみたいな講師が3DCGをガンガンに使ったプロモーションを見せていたり、とあるスクールでは地味な先生がイラストレーターのソフトを使っての「おえかき(ドラ●もん)を披露」。

どこも良くも悪くもスクール独自の個性があり、正直どのスクールが良いのかの判断がとても難しかったが、自分の感性を信じて、1つのwebスクールを選んだ。

費用は60万円。

そして初めてのパソコン(MAC G3)購入と関連設備で40万。合計100万円の自己投資。

しかし全く高いとは思わなかった

むしろ人生で初めて自分からやりたい事を見つけ、勉強出来る。

その嬉しさの方が何倍も強かった。

webスクール修了。そして就職活動へ。


スクールは本当に楽しかった。

日々自分のwebに対する知識が付いてくのが分かったからだ。

「学ぶ」と言う事がこんなにも楽しいと感じる感性は、おそらくこれから先もうないだろう。

当時はスクールに通えない曜日や時間帯は、自宅にて独学に勤しんだ。

とくかく手を動かしていた。右手にマウス。左手にHTML辞典。

インターネット回線へ繋げるのには夜22時以降「テレホーダイ」に。

「ピープルルルル・・・」興奮する電子音。最高な瞬間。

そして1998年10月から通い始めたスクールも1999年4月に修了。

自作自慢のホームページ4作品をひっさげていざ就職活動を開始!

 私は自信に満ち溢れていた。

だんご3兄弟が大流行した1999年4月の出来事である。

めざせwebデザイナー❗️資格不要?スクール&独学からの挑戦

めざせwebデザイナー❗️資格不要?スクール&独学からの挑戦

就職活動。30社連敗。


webスクールで作った自作の実績4パターンをひっさげていざ就職活動を開始!

私は自身に満ちあふれていた。

募集要項で「学歴不問:未経験可」の文字を見つけ、最低給料20万より、勤務地:都内。など条件は多少付けたものの、私の自作実績を見せれば直に職は見つかると思っていた。

しかし!結果30社全て不採用。

うち、書類選考で半分落とされると言うショッキングな結果に。

自分が情けなくなったと言うか、天狗の鼻をへし折られた気持ちになった。

例えばとある会社へ面接へ行った時、当時40歳代くらいの女性社長が履歴書を見てこう言った。

  • 女社長:「カトリさんはどこの美大を卒業してますか?」
  • 私:「・・・。美大は出ていません」
  • 女社長:「あそう。うちはねぇ、美大卒しか採用しないの」
  • 私:「そうですか・・。失礼致します(こんのやろ〜!募集要項に書いておけ!)」

4月にスクールを修了し、5月〜7月の3ヵ月間の就職活動中の出来事であった。

8月、某制作会社へ無事就職。


あの夏を私は忘れない。

3ヵ月就職が決まらず、半分嫌気になり雑に新聞折り込みの求人情報を見ているとそこに「web制作:営業兼デザイナー募集」の文字を見つけた。

しかも家から距離も近い。「営業」と言う言葉にかなりの違和感があったが家にいてもやる事がない。

不採用で返却された履歴書の封筒をそのまま持ち、ならば暇つぶしに”行ってやろう”と早速電話してみた。そしてそのまま当日面接に行く事になる。

スーツでママチャリ(自転車)をコイで会社前で停めた。

その会社は3人でやってる小さい会社で、オフィスはマンションの一室を使って業務していた。

広めの1ルーム。一件家に見えるその会社っぽくない仕事スタイルに私は見た瞬間に憧れてを抱いてしまった。

そしてフカフカのソファーに座って社長と面接。

慣れないスーツもこの3ヵ月ですっかり違和感なくネクタイを締めれるようになっていた。

  • 社長「営業の経験は?」
  • 私「ありません」
  • 社長「そう、じゃ、追って結果は連絡します」

実に単調な面接だった。

私も暇つぶし感覚の気持ちの緩みもあり、何とも思わずにそのまま帰った。

ちなみにこの日に限って私は鞄を持っていかなかった。

履歴書を内ポケットから出して面接に挑む就活人は私くらいだったかもしれない。しかし翌日「採用」の電話が来たのだ。

営業マンに必要な物。


営業マンに必要な物。

名刺と鞄だ。

私は入社して早々だが、名刺の肩書きを「営業」ではなく、「webデザイナー」にして欲しいと祈願。

社長は渋っていたが、出来た名刺を見たら「webコーディネーター」となっていた。「ま、悪くはないか。」私は心の中でつぶやいた。

そして鞄に関しては社長が私に新しい鞄を買ってくれると言うので店へ行った。

あの日の事は今でもはっきり覚えている。

  • 社長「好きな鞄を選びなさい」
  • 私「はい。では一番上の棚にあるアルミのアタッシュケースがいいです」
  • 社長「10年早い、これにしなさい」

実に単調な鞄を<肩から斜めにかけて>私は店を出た。

デザインしたければ自分で営業してきなさい。


デザインしたくても仕事が無かった。

だから自分で営業する事になるのだが、飛込み営業なんて100件入って2~3件話しを聞いてくれるレベルで、商談成立なんて0.0%の世界だ。

夏の日差しが照りつける中、私は何件ものオフィスへ足を運んだ。

そして「セールスお断り」のドア札を見る度にマジックで「セールス(を)断り(ません)」に変えてやりたい気持ちになった。

結局仕事は取れず1ヵ月がたった頃、社長が私に自社HPのリニューアルをしたいからそっちの作業を先にやってくれ。と頼まれた。

私は嬉しかった。さっそく取りかかり2週間程で作り上げた。

  • 私「リニューアルできました」
  • 社長「デザインいいね
  • 私「webデザイナー志望って面接で言いました笑」
  • 社長「ちょうど何件か仕事入ったから営業はもういいや」

嬉しいに決まってる。

その場でスーツを脱ぎ捨ててやりたい気持ちを抑え、私は晴れてwebデザイナーとして採用されたのだ。

*営業はベテランの関西人さんが別で採用された。

会社経営が傾く。給料3ヵ月分の未払い。


1999年9月の後半に入った頃、社員の先輩が私に「この会社来年くらいに潰れるかもよ」と言って来た。

どうも資金繰りに困っているようだ。

ちょうどその先輩に続けてこう言われた「カトリくんも、次の仕事探した方が良いよ。

あと自分のドメイン取っておくと良いよ」と。

1999年10月25日私は後のフリーランスの屋号となる初めてのドメイン(http://2106.net)を取得した。

会社での貴重な実績と経験


この会社で経験出来た事が、後のフリーランスに役立っている事はかなり多い。

内勤のwebデザイナーになれた私は、日々、企業のホームページ制作に勤しんでいた。

当時の会社営業スタイルは「レンタルサーバー」を売込みして、契約した場合は簡易的なホームページを「無料」で作ります。と言う内容だった。

おかげで5p程度の小さいホームページながら、50サイトくらいのデザインとコーディングの実績を積む事が出来た。

制作時、主にホームページに載せる<素材情報>は、クライアントからメールで頂くのだが、当時一番記憶に残っている<素材情報>が「求人雑誌」掲載欄(四角い紙切れ)のみ。

これで5p作らなければならない状況で何とか作り上げたのだが、我ながら自分の想像力を褒めてやりたい。

また遠く電車に乗り、ホームページ制作の素材撮影にもデジカメをもって行ったりもした。

クライアントから直接デザインを褒められる時もあり、私はとても仕事が楽しかった。

会社の残り仕事をしながら、フリーランス体制へ。


そして2000年の春頃に嫌な予想的中。

3ヵ月分の給料が保留され会社は倒産寸前。

しかし幸いな事に私は1999年10月25日のドメインを取ってから「お仕事掲示板BBS」を経由し会社勤めをしながら副業として小さな仕事を請負う機会を頂けフリーランスとしても兼業する体制とをとっていた。

そして近くマンション(事務所)を閉鎖すると言われ、新しい会社に転職するか迷ったが、既存クライアントの更新契約が事務所閉鎖以降も3ヶ月ほど残ってる事を告げられて、事務所は閉鎖で無くなるがどうにか更新対応を「月5万円」で引き継いでくれと社長に頼まれた。

そして3ヵ月分の未払い給料の替わりに職場の一室で使用していた「家電」「家具」「仕事道具一式」全てもらう事を約束

こうして私は月5万をもらいつつ、お仕事掲示板BBSからの仕事を合わせ、地元の東京都豊島区南大塚の6畳一間のアパートで初1人暮らしをスタート。

「屋号:2106.net」SOHOフリーランスwebデザイナーとしての活動を始める事になった。

SEASONS(浜崎あゆみ) がマイブームだった2000年9月頃の出来事である。

(完)

まとめ
webデザイナーフリーランス。未経験からの体験記。

まとめ
webデザイナーフリーランス。未経験からの体験記。

amazonでお得に買う方法

\これは使わないと損❗️/

知らない人多数!本家Amazon公式が発表してるお得な方法😀  Amazonを使用するのであれば必須です!是非ご利用ください。

Posted by KATORI